小野蘭山墓および墓誌 (おのらんざんぼおよびぼし)
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更新日:2017年5月1日
都指定文化財:小野蘭山墓及び墓誌(おのらんざんはかおよびぼし)
小野蘭山墓(おのらんざんぼ)(墓石)
この
また
平成21年1月名称変更しました(区での登録名称は「小野蘭山墓および墓誌」)。種別も史跡から有形文化財となりました。
平成23年11月より、墓誌2基については風雨等からの劣化を防ぐため、石神井公園ふるさと文化館で保管しています。(非公開)
昭和63年度区登録 平成20年度都指定
※注釈:
墓誌について
墓誌
墓誌銘
墓誌銘の内容紹介
先生は、享保14(1729)年8月21日、京都に生まれました。幼い時から記憶力に優れ、人情に厚かったといいます。古典籍に通じていたので、松岡恕庵に師事して本草学を学びました。学問を修めるにつれ、人格もさらに優れ、博学の評判が国内に知れ渡りました。寛政11(1799)年の春、幕命により出仕し、医官の子弟に本草学を講じました。
文化7(1810)年正月26日、82歳で亡くなりました、先生の資質と博識は他に並ぶものがいませんでした。『本草綱目啓蒙』を世に出しました。その土地の名高い産物をこれほど網羅して分析した人は他にいなく、今までの間違いを改めたことで、本草学を大成しました。
『廣参説』を著していました。亡くなるその日まで、気力を振り絞って、傍に仕えている弟子を使って『廣参説』の校正をしました。私はその傍に仕えていました。先生は例示をしながらその意味を述べ、弟子に教えることで自らも学んでいました。先生の容貌は生き生きとして、老いても聡明で親しみが感じられました。
私は、先生が70余歳の時に常陸国(茨城県など)や上野国(群馬県)の諸山へ採薬に赴いた際、随行しました、高い峯をのぼり、険しい山を越え、血気盛んな若い者と異なりませんでした。
埋葬は、占い定めて3月某日とし、浅草誓願寺に葬りました。本草学を継いだ孫の職孝は私に碑文を記させました。
門人 井岡冽元泉
所在地
(小野蘭山墓) 迎接院墓地(練馬4丁目27番) ・ (墓誌・非公開) 石神井公園ふるさと文化館(石神井町5丁目12番)
交通機関
西武豊島線・都営地下鉄大江戸線 豊島園駅下車徒歩3分
お問い合わせ
地域文化部 文化・生涯学習課 伝統文化係
組織詳細へ
電話:03-5984-2442(直通)
ファクス:03-5984-1228
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