地蔵菩薩立像(写真a)は、像高約64センチメートルで、木造(ヒノキ)、寄木造で、肌が漆箔、衣が古色塗り、玉眼が嵌入されています。胎内墨書から神田多町壱丁目の仏師、冨慶法橋の作であることがわかります。また、納入された木札1(写真b)から、正徳5年(1715年)「武州下練馬湿化味邑普妙山光伝寺」の法印慧龍が住持の時に、木下作左衛門ほか46名が施主となり造立されたことがわかります。
閻魔十王像は、十王・倶生神(阿形・吽形)・奪衣婆・鬼卒(阿形・吽形)・檀拏幢(写真e)・天秤(写真f)から構成されます。
地蔵菩薩立像に納められていた木札2(写真c)から、正徳元年(1711年)春に「十王造立」を思い立ち、正徳4年(1714年)12月に十王と倶生神が造立されたことがわかります。
十王は木造、寄木造で、彩色および漆塗りが施され、玉眼が嵌入されています。台座裏の墨書から大正3年(1914年)に彩色が塗り直され、背部の金泥書から昭和11年(1936年)に修理されたことがわかります。
倶生神以下の5躯・2基は、いずれも木造で彩色が施され、そのうち倶生神・奪衣婆には玉眼が嵌入され、鬼卒・檀拏幢は彫眼が施されています。
奪衣婆・鬼卒・檀拏幢・天秤は、銘記はありませんが、作風や技法構造の特色から、十王・倶生神と合わせたものとして、ほぼ同時期に制作されたとみられます。
これらの仏像群は、かつて光伝寺で10月18日に行われていた十夜法要の際に、地域の人々に参詣されたと伝えられ、その行事は形を変えてはいるものの、現在も継続されています。
胎内墨書や納入木札の銘文から由緒がわかり、地域の人々との関わりが深い資料です。
平成19年度区登録