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【令和6年7月1日】5階の窓から(ねりま区報7月1日号掲載)

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  5. 【令和6年7月1日】5階の窓から(ねりま区報7月1日号掲載)

ページ番号:121-226-974

更新日:2024年7月1日

 6月1日、東京都練馬児童相談所が開設されました。これで、私の人生に大きく一本筋が通りました。
 昭和46年、美濃部都政に憧れて日本の社会福祉を充実しようと東京都に入り、10年間、障害者児福祉と児童福祉の現場で働きました。当時の花形は保育、「ポストの数ほど保育所を」と、年間100ヵ所保育所が整備される時代でした。「女性は家庭で育児を」という議論もありましたが、若い私は「何を今更」と意に介せず、民間保育所助成は憲法違反だという国の主張への反論を書いていました。
 こうしたなか、戦災孤児以来の、問題を抱えた子ども達には、陽が当たらなくなっていました。この世で一番不幸な子ども達が蔑ろにされてはならない。私が児童養護施設を訪ね、泊まり込んで子ども達と遊び、一方で児童相談所の充実強化に乗り出したのは、この為でした。
 虐待などの問題を抱えた子ども達のケアが、区の行政区域内では対応出来ない広域専門行政だというのは、若い私の身体に沁み付いた経験的事実です。私が練馬区長になった時、23区全てが区立児童相談所を設置する方針でした。驚愕して、理由を聞くと、「区は都より住民に身近な自治体だから」と繰り返すだけでした。私以外の区長は誰一人、児相の現場で仕事をしたことはないのですが・・・。
 区内でも、区立児相の設置に反対した私への非難中傷は大変なものでした。「練馬区の子ども達を救え」という横断幕まで登場しました。
 公務員が圧倒的世論や上司の指示に屈せず、自分の信念を貫く。言うは易くして実行は極めて困難です。この難題を乗り越えて、永い公務員人生を闘い抜いて来ました。今後とも、永年の同志達、区の仲間達と手を携えて進んで行きます。

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ねりま区報「5階の窓から」

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