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さ行(栄町、桜台、下石神井、石神井台、石神井町、関町北、関町南)

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ページ番号:343-084-692

更新日:2024年4月11日

栄町

江古田の五ツ又

羽沢一丁目の五ツ又で、中央の道路を奥に進んで江古田駅西側の踏切を渡ると、千川通りに出ます。この道は昔からあって、一方は高田村(現在の豊島区)、もう一方は埼玉に通じていたため、高田みちや埼玉みちと言われていました。自動車が入る左角には庚申塔こうしんとうが今も残っています。今日では、しゃれたカラー舗装の『江古田ゆうゆうロード』になっています。

桜台

桜台駅前商店街

西武池袋線桜台駅北口商店街の風景で、左側手前に駅の改札口があります。正面には、割烹料理店『金栄閣きんえいかく』の看板が見え、店の前にはバス通りがあります。商店街はわずか50メートルほどのところに、十数軒の店がこじんまりと並んでいます。
道幅は変わりませんが、現在は左側商店街の上に電車の高架線が走り、ずいぶんとスマートになりました。

下石神井

旧早稲田通りの「分かされ」

現在の下石神井三丁目で、旧早稲田通りが二又に分かれている場所の写真です。「分かされ」とは練馬の方言で、分かれ道のことです。白黒写真について、右から奥に向かう道は、禅定院や三宝寺に通じます。写真には写っていませんが、手前を左に向かう道は、天祖神社に通じます。角にある道標どうひょうには、長命寺や三宝寺から中村の南蔵院と鷺宮の福蔵院へ行く方向が刻まれています。
現在、この道標どうひょう庚申塔こうしんとうは、三宝寺の境内に移され、大切に保存されています。

石神井台

石神井みち

白黒写真は、石神井小学校前の石神井みちを写したものです。石神井みちは、早稲田通りや所沢みちと呼ばれていました。石神井小学校は、明治7年に練馬区内で最初に開校した学校で、写真左の木造校舎から、道をはさんだ反対側に昭和37年に新校舎が完成したことから、跨道橋こどうきょうが架けられました。旧校舎跡地には、昭和45年に石神井図書館が建てられ、平成16年には跨道橋こどうきょうも撤去されました。

沼辺ぬまべの十字路

大泉学園駅から上石神井に通じる道と富士街道が交差するところで、『沼辺の十字路』と呼ばれていました。『沼辺』とは、上石神井村の昔の地名です。オートバイは、大泉から上石神井に向かっており、渡ろうとしている石橋の下には田柄用水が流れています。現在では、田柄用水は暗きょとなり、近くにあるけやき憩いの森に、その跡が見られます。当時の面影を残しているのは、十字路角のほこらにたたずむ沼辺地蔵だけです。

石神井町

石神井公園ボート場と少年

昭和5年、現在の石神井公園付近一帯の54ヘクタールは国の風致地区に指定され、地元有志による石神井風致協会が誕生しました。昭和9年には、三宝寺池東側の、水田と葦が茂る湿地が整備されて石神井池となり、同時にボート場も開園しました。その後、昭和34年に都立公園になりました。石神井風致地区の看板が立っているところは、ボート場の東端にあった石神井橋です。この付近は、現在はマンションが立ち並んでいます。

石神井公園駅

ローカル線の駅舎のように見えるのは、昭和3年から昭和37年まで使われてきた石神井公園駅舎です。今日では、再開発により駅周辺は一変しました。大正9年の駅舎完成を祝して建てられた『石神井公園火車站之碑しゃくじいこうえんかしゃたんのひ』は、この大変化に驚いていることでしょう。

石神井公園駅前の商店街

石神井公園駅南口から、商店街を西へ100メートルほど行った交差点です。左へ行くと坂を下って石神井公園のボート池に、右に折れると石神井庁舎前の富士街道に出ます。十字路の角にあったことから『十字堂』と呼ばれて親しまれていた洋品店が右角に見えます。
現在も昔と変わらない狭い道ですが、商店街は買い物客でにぎわい、交差点では係員の交通整理のもと、路線バスが頻繁に行き来しています。

関町北

戦前の富士見池

関町北三丁目の武蔵関公園にある富士見池は、大正半ばから昭和の初めにかけて、付近の住民の手で『若宮遊園』として整備され、ボート場や釣り場、売店もありました。その後、西武鉄道の協力のもと整備が進められ、昭和13年に東京市に寄付されて『武蔵関公園』に名称が変わり、昭和50年に区に移管されました。白黒写真は、『若宮遊園』当時のものです。
現在は、区民の憩いの場として、野鳥観察やジョギングなどで親しまれています。

石神井西青年訓練所の生徒たち

さっそうと自転車をこぎ出そうとしているのは、昭和初期、石神井村にあった石神井西青年訓練所の生徒たちです。訓練所の会場として使われていた建物は、現在の関町北一丁目にあった石神井西尋常小学校で、今日の石神井西小学校です。
生徒たちが乗っているのは自分の自転車で、当時は「銀輪」とかっこよく呼んでいました。

関町南

青梅街道

青梅街道と吉祥寺通りの交差点で、前方は荻窪方面、白黒写真右上のパン屋の前を右に曲がると吉祥寺に向かいます。
正面の鉄塔は東京電力の変電所で、この少し先には、約300年前から旅人の往来を見守ってきた『関のかんかん地蔵』が現在でもまつられています。
道幅約9メートルだった青梅街道は、昭和39年の東京オリンピックを契機に、約25メートルに拡幅されました。

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総務部 情報公開課 情報公開担当係  組織詳細へ
電話:03-5984-4513(直通)  ファクス:03-3557-3721
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