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こころの健康コラム**専門家からのメッセージ**

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ページ番号:191-573-776

更新日:2023年3月22日

 『こころの健康コラム』は、それぞれの年代や状況で、多くの方が体験するであろうストレスなどをテーマに、こころの健康にかかわる専門家の方からのメッセージを皆様にお届けいたします。

<テーマ>

高齢者のこころの健康

医療法人社団じうんどう 慈雲堂病院
院長 田邉 英一 先生

【高齢者のこころの特徴】

 超高齢社会となった現代、歳をとってもいきいきと元気に過ごしたいものです。ところがこうした気持ちとは裏腹に、からだの機能は老化が進み、若い頃と違って思うように動きにくくなり、こころの状態にも変化がみられてきます。高齢者のこころの変化の特徴として、記憶を中心とした知的機能の減退、物事の決断が遅くなる、融通が利かなくなり頑固になる等、それまで出来ていたことが出来なくなったり、元来のお人柄がより強く表れるといった性格変化がみられます。また配偶者や親しい友人を亡くしたり、自分自身の仕事からの引退や退職など、社会的にも家庭的にもさまざまな喪失体験を重ねてきて、精神的に不安に駆られやすくなります。自身の健康に関するものも不安の大きな原因となります。さらにこころの変化のなかで最も気をつけなくてはならないものとして、高齢者のうつがあります。

【高齢者のうつの特徴】

 高齢者のうつの特徴として、単に気持ちが落ち込み気力が失われるだけでなく、落ち着かずそわそわするような強い不安焦燥感や、からだのあちこちが調子が悪いと訴える心気症状が目立ちます。体調の悪さで診療所や病院を受診しても、特段の異常が見つからない時は、こうしたうつが隠れている可能性があります。また認知症の初期にも、もの忘れにのほかにうつと区別がつきにくい症状がみられることがありますので注意が必要です。

【こころの健康を保つために】

 身近なご家族にこうした症状の高齢者がいる場合は、お近くの保健相談所や地域包括支援センターに相談をするか、かかりつけ医や専門診療としての精神科、心療内科を早めに受診しましょう。独居の方の場合には、日頃からできるだけ声をかけてあげましょう。うつや認知症を防ぐために、日頃から人とのかかわりをなるべく保ち、趣味や生きがいを見つけておくことも大切です。練馬区主催の健康講座やさまざまな社会参加の活動がありますので、思い切って参加してみるのもお勧めです。
こころもからだもいきいきと、いつまでも元気さを保ちましょう。

依存症治療の最前線にて


医療法人社団ヒプノシス 雷門メンタルクリニック
院長 伊波 真理雄 先生

【はじめに】

 精神科で研修医をしていた平成3年から依存症治療に興味を持ち、翌年にはアメリカでの研修に参加しました。そこでたくさんの回復者と出会い、彼らのボランティア活動に刺激を受けました。その後わたしは上京を決断し、依存症回復施設のボランティアスタッフとの協働を30年続けてきました。いまだに新たな疑問や課題にとまどいながらですが、精神科医師として充実した毎日をおくっています。

【依存症とのたたかいと敗北】

 初めての依存症臨床経験は沖縄でのアルコール専門病棟勤務でした。
 あの頃は治療プログラムを終えて退院した後、3年以上断酒できた人は利用者の1割もおらず、徒労感や無力感にとらわれていました。
 また同僚の医師やナースたちからも「依存症とは関わりたくない」と言われ、理解や協力が得られないまま、怒りや孤独感も感じていました。
 だけど今ふり返れば、あの頃はわたし自身も「依存症は治らない病気」とか、あるいは「がんばった人だけが立ち直る病気」と考えていたように思います。

【新しいプログラムとの出会いと変化】

 アメリカの依存症回復施設で学んだことは、回復を見守る側のまなざしがいかに大きな影響を与えるかでした。わたしは日頃「いかに飲ませないか」と夢中になって、自分の治療成績ばかりにとらわれていました(きっとその頃のわたしはコワイ目をしていただろうと思います)。
 おだやかなまなざしの回復経験者たちと出会ってからの30年で、ずいぶんとわたしの依存症へのむき合い方は変わりました。たとえ今、依存症の渦中にあり、シラフになるのが怖くて、少しでも自分の状態を良く見せようと焦っている人たちも、介入のタイミングさえ間違えなければ、ありのままの自身を受け容れ、解放感に満ちた日々を取り戻せると信じるようになりました。

【今のクリニックでの依存症支援】

 平成12年に浅草で開業してからも、依存症の回復施設との連携は続いています。
 せっかくリハビリにつながっても、医療機関で多種類の向精神薬が処方されていると、ボランティアスタッフの判断では減薬できないこともあり、私のクリニックでは「ラクで、クリーンで、自由な生活」に向けて、ほとんどの利用者が向精神薬を中止できるよう見守っています。
 もう一つは合併症の存在です。成人の発達障害などの鑑別依頼も増えてきました。
 知能検査や発達経過の聴き取りで、アルコールなどの物質乱用に陥る前からの「生きづらさ」を把握することや、6ヶ月以上シラフで経過観察を行ない「重複障害」を確認できれば、個別の支援プログラムも提案しています。

【おわりに】

 平成22年6月に国際的な諮問機関から「物質使用には懲罰ではなく治療へ」と宣言されましたが、日本のメディアではまったくと言っていいほど取り上げられませんでした。
 海外の物質乱用先進国に比べれば、わが国では厳罰による取り締まりによって、違法薬物にはある程度の成果をあげているのかもしれません。しかし依存症から再チャレンジしようとしている人への理解や支援は、私たちのアピール不足もあり、「残念なレベル」と表現せざるを得ません。
 思いがけない形で依存症とかかわり、医師としてたくさんの得難い経験をさせてもらいました。これからもその感謝と喜びを伝えつつ、回復経験者によるボランティア活動が、さらに広がっていくことを願ってやみません。

若者のこころの悩み

医療法人財団厚生協会 大泉病院
院長 半田 貴士 先生

【コロナ禍で若者が置かれた特殊な状況】

 新型コロナ感染症が流行して以来この数年、社会の閉塞感が強まり、その影響が特に若者のこころに顕著に現れています。入学したのに学校が休校、家でのリモート授業ばかり、クラブ活動もできない、仲間との会食やお喋りも禁止などといった日々が長く続き、友人との交流も持てず、孤立しやすい状況が生まれました。「ひきこもり」がむしろ推奨されるような日々が続いたのです。今でこそコロナによる活動制限は少なくなっていますが、生きているのがつらくなるくらい悩んでいる若者の数が増えています。
 もともと思春期、青年期は人生で最も変化の多い不安定な時期です。一人前の大人になるには、学業、進学、友人関係、親からの独立、恋愛、就職、結婚などを無事達成するための多くの発達課題があります。最も成長する時期であると同時に、つまずきやすい時代でもあります。悩んだり自信を失ってひきこもってしまうことは、誰にも起こりうることです。

【若者の悩みの特徴】

 若者はまだ人生経験が少ないために、現在の自分の置かれている状況を客観的、俯瞰的にみられず、思い込みが強く極端な考え方に陥りやすい傾向があります。また、「生きる意味とは?」、「自分とは何者か?」など観念的で根源的な思考をするのも若者の考え方の特徴です。
 自分が何者であり、何になっていくのかを自己認識することをアイデンティティの確立といいます。現代の複雑な社会では、アイデンティティの確立が30歳くらいまで延びてしまう場合がしばしばあります。この間に自己実現につまずいたり、安定的な人間関係を築けなかったりすると、無力感、自己否定から絶望に至るおそれがあります。

【悩みにどのように対処するか】

1 ひとりで悩まず、相談できる人を見つけよう。
 ひとりで悩まないこと、我慢しすぎないことが大切です。信頼できる人を見つけましょう。親や家族、友人、先生など身近に安心して相談できる人がいればいいのですが、逆に近すぎて相談しにくい場合もあります。そんな時は、保健所の保健師さん、学校のカウンセラー、大学や会社の健康管理室などいろいろな相談窓口があります。区のホームページにも相談窓口が載っていますので利用してください。面談ではなく、電話やSNSでの相談もあります。ただSNSでの相談は、相手が誰でどんな人かわからない時には注意が必要です。いろいろな相談を受けても、つらさや苦しみが軽減しない時は、メンタル面の医学的面接、診断、治療を受けることが必要となる場合があります。うつ状態や発達障害のために悩みが生じているケースなどでは、病院の受診も考えて下さい。
2 今だけを見ない。焦らない。「人生は長く、山あり谷あり」
 若い時は今が人生のすべてと考えがちですが、人生は長く、どんな厳しい状況も必ず変化します。今の苦しみがずっと続くことはありません。希望を捨てず、変化が良い方向に起きることを信じましょう。早く解決しようと焦ると、逆にさらに追い込まれますので、嵐が過ぎるまでじっと待つことも必要です。あまりにもつらい状況ならば、我慢せずその場所から一時的に逃げ出してひきこもってもかまいません。生き抜くことが最も重要です。若い頃に不登校をして、のちに立派に成功した大人は沢山います。
3 人と比較しない 
 ある時点だけで自分と人を比較するのはやめましょう。落ち込んでいる時は、他人がよく見えるものです。長い人生ではいろいろな課題や困難があるので、今が順風満帆な人でも後に落ち込む例はたくさんあります。人生に競争はつきもので、劣等感を抱くことは誰にもあることです。自分のペースで自分なりにやっていけばいいのです。「春咲く花もあれば、秋咲く花もある」と思いましょう。
4 居場所と仲間を見つけることが大切
 ひとりでひきこもらずに、自宅以外に安心して居ることができる場所が見つかると楽になります。同じような悩みを持っているのは自分一人だけでない、自分だけが特別ではないと分かると安心できます。共感できる仲間が見つかることはうれしいことです。学校に行くことや外で働くことにためらいのある人には、各地域に若者サポートステーション(通称サポステ)という居場所があります。自分の気持ちが落ち着いて、外に歩み出そうと考えられるようになった時には、ぜひ訪ねてみることをお勧めします。

 

中年期のこころの健康

医療法人社団翠会 陽和病院
院長 牛尾 敬 先生

【中年期には第一の人生と第二の人生が交錯します】

 およそ45歳から65歳を中年期と呼びます。この時期は様々な経験をつんで自信もつき、安定した成熟の時期と思われるかもしれません。しかし、仕事では責任のある役割を担い、家庭では子どものこと、夫婦のこと、親のことなど、自分以外の人への対応を迫られるようになり、責任の重さや苦悩を感じたり、多忙や過労に悩む人も多くなります。そのような状況のなかで、思い通りにいかないこと、自分の限界、選べなかった人生の悔い、身体の衰えの徴候や疲れ、遠くに見え始める自分の死、などを意識して不安や不満を感じることが出てきます。ユングという心理学者は中年期を「人生の正午」と呼びました。人生の前半と後半が入れかわっていく時期なのです。

【ミッドライフ・クライシス(中年危機)とは】

 このような中年期には、個人差はありますが、男性も女性も大小の精神的危機を経験することが少なくありません。そのさなかでは、挫折感や無力感、空しさ、などを感じるかもしれません。でもこの時期は、危機を通りぬけていくことで、第二の人生へ向けた準備をする大事な時期でもあるのです。ユングは「中年期から本当の自己実現が始まる」と言っています。

【自分と向き合うこと】

 人はそれぞれ、思春期青年期の試行錯誤を通過して、自分というものや、家庭や社会との関係を作りあげていきます。中年期はそのような第一の人生の頂点にあって、もう一度、自分を見つめ直す時期です。そこから、自分の作り直しが始まります。自分を再定義すると言ってもいいかもしれません。人生後半の課題が始まるのです。

【視点を転換する】

 人生の後半を生きるために、多かれ少なかれ、視点の転換が必要になります。それは、心身のケアや生活習慣を見直すことかもしれませんし、原点にかえることや価値観を修正することかもしれません。人によって解決はさまざまです。自分と向き合ってみて、何かを諦めることが解決の場合もあり、チャレンジすることが解決の場合もあります。あるいは、その両方かもしれません。

【うつ病について】

 注意しなくてはならないのは、中年期には、うつ病が多いことです。心理的危機や現実的困難がきっかけの場合もありますが、きっかけがはっきりしない場合もあります。不眠、食欲低下、気力低下、身体の不調、憂うつ、不安、状況的には当然と思える悩み、などがうつ病の徴候になり得ます。迷うかもしれませんが、思いきって精神科や心療内科を訪れることが大切です。ご本人や、ご家族でさえ、うつ病と思っていないことがとても多いのです。

【自分ひとりで抱えないことが大事】

 状況が行き詰ったと感じたとき、それを打開するためには、人に相談することがとても大事です。もうだめだ、と思っても必ず道は開けます。すぐ解決が得られなくても、人が関わることで変化が始まるのです。視野狭窄も少しずつ開けていきます。最後にひとつだけ、お願いがあります。もし死にたいと思い詰めている方がいらっしゃったら、絶対にひとりで抱え込まずに、必ず相談してください。道は開けます。 

家族関係とこころの健康 (子の立場から親との関係について)

医療法人社団利田会 周愛巣鴨クリニック
花田 照久 先生

【エリクソンの心理社会的発達から】

 乳児は保護者(母親)に受け入れられ、十分に乳を与えられ、眠り、排泄する。
 幼児期になると、保護者との信頼関係の中で離乳や排泄のしつけが行われ、遊びや運動の機会が与えられ健全に発達してゆく。保護者の不在や不和、子どもへの虐待、厳格な育児態度(マル・トリートメント)などは子どもの情緒や行動の問題を引き起こすことが多く、成人後のパーソナリティに及ぼす影響も大きい。
 学童期となると、学校生活等を通しての社会化と旺盛な知的発達のため両親や家庭の保護的環境から離れ、家族から教師、友人へと子どもの世界は広がってゆく。学校での安定した仲間同士の遊びや学びは、後の社会における対人関係維持の基礎ともなり、子どもにとっては重要な意味をもつ。
 乳幼児期に獲得される信頼関係や遊びや運動を通しての体験が十分でなければ、学童期のこころの生活の広がりも十分ではなく、次に迎える思春期(中学・高校生)の身体的・心理的・社会的に激しい変動の時期に、こころの健康に問題が生じることが多くなる。
 20世紀(1902年~1994年)アメリカの発達心理学者・精神分析家のエリク・H・エリクソンは、人間の心理社会的発達は上記のように発達していくと語っている。

【子どもの立場から見た保護者(親)との関係】

 各年代においての心理社会的発達が達成されない時に生じる問題を私なりに書き加えてみました。   
 子の立場からの親との関係も上記の発達理論を根底に考えれば以下のように言えると思います。

 自らの力で移動できない状態(人間は他の動物より1年早産と言われています)で、十分に乳を与えられ、快く眠り排泄するなどの安心できる体験が乳児の全世界であり、その安心できる全世界を提供してくれる保護者への信頼感(保護者との安心できる関係)を感受することで、子どもにとってはストレスともなる離乳や排泄等のしつけを無理なく受け入れることができ、また遊びや運動も安心してできるようになると考えられます。
 成長するに従い活発に遊ぶようになるということは、安心できる世界から興味を感じる未知の世界に向かって独自に行動するわけですが、子どもにとっての興味ある世界は不安な世界でもあり、興味半分、不安半分の世界でありますから、信頼できる保護者の存在や保護者からの見守りが確認できる状態でなければ安心して遊べないわけです。
 自らの安全を確認でき、安心して遊ぶことで、子どもは自身の世界を広げていくものだといえます。 

 私が幼いころ(昭和20年後半)は、テレビはなく、ラジオも身近にない時代でしたので、夜になると祖母が童話の本を読んでくれるのが楽しみでした。数少ない本を毎日読むのですから、内容は暗唱しているくらいです。疲れている祖母の声はモゾモゾした発語で、眠気混じりの独特の寝言の様なリズムでしたが、妹と2人毎晩聞いた事を覚えています。
 子どもが何度も本読みをせがむのは、親の注意を求めているためと最近の新聞に書いてあるのを目にし納得しました。
 私を背負ったままで近所の人と長話をしている母に、早く止めてほしいと思ったことも、やはり同様な気持ちだったのかなと思います。
 自分の周囲の世界に不安・緊張を感じ、保護してくれる存在の確認を子供は常に求めているのだと考えます。

 最近電車内でベビーカーに乗った子どもの母へ向けた視線に応えず、スマホに視線を固定している母親をみることがありますが、子どもにとっては寂しく(不安に)感じるのではないかと思います。
 保護者が、子どもにとって安心できない存在であれば、安心して遊ぶこともできず安定した日常生活を送ることもできなくなるのではないでしょうか。 
 学童期になれば、不安・ストレスの多い世界(自分の意志では帰宅できない制限された学校という世界)に長時間身を置くことになるわけですから、学校より帰宅した子どもは、長い航海を終えた船のように疲れており、船にとっての港の様に自宅が子どもにとっての港になることで、翌日元気に登校できるのではないのでしょうか。
 子どもにとって家庭は安心できる港であってほしいものです。ゆっくり眠って心身を回復させ、翌日またストレスの多い航海に出かけるわけですから。
 小学校の低学年生では、一日学校で体験したことを事細かく報告する子どもがいますが、保護者にむかっての安心の確認行為であり、一日のストレスを癒やす行動だと思います。
 前日の疲れが残ったままの航海では海難事故の可能性もあるわけで、事故を避けるための出港延期(子どもたちの「不登校」)も必要になってくるわけです。
 不登校の原因としては、学校での問題にスポットが当てられがちですが、家庭内の問題も多いと思います。「家庭内問題」と言っても虐待やドメスティックバイオレンスの様な具体的な問題よりも、日頃の家族内の雰囲気など、客観的に評価できないものが多く、判断は難しいものです。
 臨床精神科医として日頃感じることですが、問題化の解消には保護者(両親の)懐の広さが大切な気がしますが、これはまた別の機会があればお話ししたいと思います。

【子供の自死】

 ここで、子どもの自死の話しをします。
 「コロナ禍での子どもの自殺が急に増えたかのように報じられることが多いが、コロナ禍以前から子どもの自殺は深刻な状態であった。(略) にもかかわらず、令和元年・2年の自殺対策白書で若年層の自殺については、『急増以前の水準に戻っていない』 『自殺死亡率でみると10歳代はほぼ横ばいで推移』などという分析となっている。子どもが危ないという危機感はおろか、増えているという認識すらなかったのである。」 と元防衛医科大学校精神看護学の高橋聡美氏が精神科治療学2021年No8(927P)で語っています。
続けて高橋氏は、「子どもの自殺の原因はいじめだと多くの人が思いがちであるが、残されている遺書をみると、小学生は『家族からのしつけや叱責』、中学生は『学業不振』、高校生は『進路問題』がそれぞれ動機・原因の1位になっている。(略) これは、特別複雑な事情を抱える子どもだけでなく、『親とうまくいかない』 『成績が落ちた』など、普通の暮らしの中でのつまづきで、誰にも相談できず、子どもたちが自死に至っていることを意味する。」と語っています。
 それでは「家庭で相談できないか?」ということになるのですが、悩んでいる当人が安心して相談したいと思う人がいなければ、「相談すると批判されてしまう」と日頃思ってしまう家族であれば、『家族からのしつけや叱責』 『学業不振』 『進路問題』の悩みについて話すことはできず、家庭の中で孤立してしまうことになってしまいます。
 自死問題を語る時、『居場所がある、ない』という表現をしますが、居場所とは自分の心を許せるような拠り処、前述の「港」のことだと思います。
 子どもは成長と共に悩みの内容も変化し、中学・高校生の悩みになると親では対応できないと思われているかもしれませんが、子どもは悩みの答えを求めているのではなく、悩んでいる気持ちを批判なく受け止めて欲しいのだと思います。
 「そんなことで悩まないの」 「頑張りなさい」等の励ましは、子どもにとっては安心できる港が閉ざされてしまった気持ちになるのだと思います。
 「何もないけど、ここにいれば大きな波はこないから、休んでなさい」と言われるだけで子どもは一息つき、立ち上がってゆくのではないのでしょうか。

【おわりに】

 拙論の前半に引用したエリクソンの心理社会的発達理論は有名であり、御存じの方も多いと思います。
 各ライフステージにおいて獲得すべき発達課題(乳児期は基本的信頼…といったもの)がありますが、これはあくまでも『理論』であり、「発達課題を完璧に達成させなければ…」といった過剰な意識は持たない方がいいと思います。
  子どもの対応については、世の常識とされている一般論・抽象論で判断するのではなく、現実の一つ一つの問題点を保護者独りで考えるのではなく、家族・支援者、そして本人と相談しながら融通をつけて対応していくのが一番大切だと思います。

子育てママのこころの健康のために

練馬区保健所嘱託医、精神科医  鷲山 拓男 先生

 練馬区内の保健相談所で、1990年代前半から保健相談に携わってきました。
 保健相談所では、母子手帳交付から妊娠期や出産後の子育て期にわたって、多くの(基本的にすべての)子育てママに出会います。
 こころの健康問題をかかえる状態になった妊産婦や子育てママの区民の方々に、保健師とともに直接お会いすることもありますし、援助の方法を保健師と相談することもあります。
 私の保健相談所での経験をもとに、子育て中の方もそうでない方も、区民の皆さんにお伝えしたいことをお書きします。

共同の営みとしての私たちの暮らし

 私たちは、何万年も前の太古の昔から、群れや集落などの共同体をつくって生活してきました。日頃の暮らしは、共同体のなかで支え合いながら営まれてきました。地域の共同体にたくさんの大人とたくさんの子どもがいて、日々の生活があり、その暮らしのなかで子どもたちは育ちました。「父母と子ども2人」のような核家族が生活の基本単位となったのは、前世紀の途中からのことにすぎません。
 哺乳類の多くは母親が子どもを育てます。鳥類の多くは父母のつがいで子どもを育てます。しかし、「社会」をつくって暮らすようになったヒトという名の私たちは、そのどちらでもありません。
 子どもたちは地域社会の群れで、多くの大人のかかわる共同繁殖のなかで育ちます。子育ては母親がすべきとか、父母がすべきという発想は、そもそもヒトの暮らしの自然な姿にはありません。

母性神話と3歳児神話

 子育てをしているママたちに、私たちは「よい子育て」を、つい教えたくなります。
 さまざまな暮らしやさまざまな親子関係があるのに、自分の思う「正しい」子育てを説きたくなります。
 しかし、子どもたちは共同の営みの支え合いのなかで、集団のなかで育ちます。
 私たち日本人は、戦後の高度経済成長期に核家族化がすすむなかで、母性を過度に神格化してきました。
 3歳までは母親が一人で子育てすべきだという「3歳児神話」をいつのまにかつくりあげ、子育て環境の不自然な孤立化を「そうあるべきもの」としました。
 養育環境の不十分な子どもを「母親がネグレクトしている」と非難するとき、私たちは育児の責任を母親に押しつけています。
 新型コロナウイルス問題下でその傾向がさらに露呈したのは皆さんがみての通りです。
 「自粛して下さい」と私たちは育児サービスを突如ママ達からとりあげ、“こういうときくらい子どもは家で母親がみるべき”と圧力をかけました。

では父親が育児に参加すべき?

 母性神話が成立した高度成長期から、父親たちは早朝に家を出て、深夜まで帰ってこなくなりました。
 1992年に、先進国中最悪の長時間労働を是正すべく「時短促進法」を制定しましたが、その後の経済危機で放棄され、子育て世代の男性労働者の労働時間はむしろ増大しました。
 欧州を見習って父親も子育てに参加せよと言ってみたところで、実現する家庭はわずかです。そういう社会をつくってしまったのは私たちです。

私たちのこれから

 子どもは社会が育てるという思いをこめた「こども庁」は「こども家庭庁」にかわってしまい、子育てを母親に押しつけるわが国の社会がすぐに変わりそうにはありません。
 一方で、子ども食堂のように地域住民が子育てを分かち合う活動が区民の皆さんのなかに広がってきていることを心強く思います。
 そのような地域活動を子どもも母親も誰もが、罪悪感やうしろめたさを感じることなく、あたりまえに利用しあえる暮らしが実現することを願っています。
 産後うつなどのこころの不調になるママたちは、いまも、これからも、きっと必ずいます。 
 子育ての負荷がママたちにあまりにも集中しすぎているわが国の現状では、たくさんの不調な人、不調になりかかっている人がいて当然です。
 “子育ての仕方をおしえてあげるから頑張りましょう”と指導するのではなく、そのままでいいと保証し、子育ての負担を「群れ」の皆で分かち合い、少しでもママ達に休息を保証して下さい。
 「群れ」とは家族のことではありません。 
 私たち練馬区の皆さんのことです。

お問い合わせ

健康部 保健予防課 精神支援担当係  組織詳細へ
電話:03-5984-4764  ファクス:03-5984-1211
この担当課にメールを送る

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