石神井川流域の遺跡
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更新日:2022年2月17日
練馬区を東西に貫流する石神井川は、荒川水系に属する一級河川です。その水源は小平市小金井カントリー倶楽部付近で、北区に入ると隅田川に合流します。流域にはいたる所に遺跡が所在していますが、区内では関町北の富士見池、石神井の三宝寺池周辺に大規模な遺跡が拡がっています。
富士見池西方 遺跡:No.36遺跡
西東京市との境の道路を調査し、縄文時代の集石などが発掘されていますが、遺跡の分布は淡いと考えられています。江戸時代の陶磁器とともに、子供用の下駄などが出土しました。
川北遺跡:No.37遺跡
関町北4丁目、都立石神井高校の南一帯に拡がる遺跡です。旧石器・縄文時代早期~中期の遺構・遺物が発見されており、なかでも阿玉台式土器とよばれる縄文時代中期の土器が、住居跡から出土した例は区内では少ないものです。
阿玉台式土器(縄文時代中期)
富士見池遺跡群:No.38遺跡
関町北3丁目、富士見池南側に拡がる大規模遺跡群です。葛原遺跡A地点・
武蔵関遺跡出土の大型槍先形(やりさきがた)石器(区登録文化財)
武蔵関北遺跡:No.42遺跡
関町北4丁目、東京女子学院付近に位置する旧石器・縄文時代中頃の遺跡です。旧石器時代の石器では、その材料が日本海側地域や新潟県など、遠隔地のものであることが鑑定の結果明らかになったことは注目です。また縄文時代の狩猟活動を示す
富士見池北 遺跡:No43遺跡
平成12年~13年、都営住宅建替えに先立ち発掘調査されました。旧石器時代と縄文時代を中心とする遺跡で、特に関東ローム層上部の文化層からは、礫群と多種類の石を素材とする石器が多量に出土しました。
扇山 遺跡:No.57遺跡
石神井台4丁目、都営上石神井アパート
有孔鍔付土器(ゆうこうつばつきどき)
城山遺跡・愛宕山塁 :No.45遺跡
上石神井3丁目、早稲田
石神井台遺跡・石神井城跡 :No.50遺跡
石神井台1丁目、石神井公園三宝寺池の南一帯に拡がる、旧石器・縄文・弥生・古墳・奈良・平安・中世の遺跡群です。石神井城
石神井城跡空堀
石神井城跡内郭の柱穴群と畝状遺構
池淵遺跡:No.64遺跡
石神井町5丁目、三宝寺池東一帯に拡がる遺跡です。旧石器・縄文・弥生・古墳・中世の遺構・遺物が発見されています。隣接する石神井台遺跡・石神井城
和田遺跡:No.69遺跡
縄文時代の遺跡として周知されていましたが、平成18年の試掘調査によって旧石器時代の遺跡が見つかりました。凝灰岩製の尖頭器(
尖頭器出土状況
高松二丁目遺跡:No.73遺跡
平成18年に発掘調査され、黒曜石主体の石器製作跡と礫群が見つかりました。石器は、ナイフ形石器などがあります。縄文時代だけでなく、旧石器時代の集落跡であることが分かりました。
No.77遺跡
高野台1丁目7番の個人住宅内に位置する塚(築山)です。『練馬区史』(昭和32年)では古墳とされていましたが、その
南田中三丁目遺跡:No.82遺跡
環状8号線道路建設に先立ち平成13年~14年に発掘され、縄文時代中期の竪穴住居跡などが調査されました。
住居跡
富士見台三丁目遺跡:No.84遺跡
環状8号線道路建設に先立ち平成14年に発掘され、縄文時代中期の竪穴住居跡1軒、集石17基などが発掘されました。集石は石蒸調理の跡とされますが、この遺跡では小規模で石は小さく数が少ないのが特徴です。
住居跡
堀北遺跡:No.86遺跡
富士見台4丁目34番付近に拡がる遺跡で、現在、富士見ヶ丘静風荘結核療養所跡地と堀北遺跡を示す文化財説明板が建てられています。堀北遺跡は縄文時代中期の遺跡であり、10件以上の竪穴住居址が密集して発見されました。また平成10年の発掘調査では、古墳時代の住居址も発見されています。
堀北遺跡第2地点
堀北遺跡第2地点
中村橋遺跡:No.89遺跡
貫井2丁目8番付近に拡がる遺跡で、後述する貫井二丁目遺跡との間には、貫井川と呼ばれる石神井川の小支流がかつて流れていました。現在は暗渠化によりその流れを見ることはできませんが、貫井二丁目とは対岸の位置にあります。縄文・弥生・古墳・奈良・平安にわたる遺構・遺物が確認されています。昭和33年に三菱レイヨン遺跡として調査された時に、縄文時代の土偶としては珍しい男性器を表現した土偶破片が出土しています。平成になってから、4次調査まで実施し、縄文時代中期~後期の住居址が多数発見され、平安時代の住居址も見つかっています。
貫井二丁目遺跡:No.91遺跡
貫井2丁目、練馬第
金銅製飾具(こんどうせいかざりぐ)(奈良時代)
田島遺跡:No.94遺跡
環状8号線建設に先立ち平成13年~14年に発掘され、旧石器、縄文、弥生、近世の各時代の遺構・遺物が出土しました。特に弥生時代後期の竪穴住居跡は火災住居で炭化材とともに、住居の床面からは、絹の布が付いた石が出土しています。
竪穴住居跡(弥生時代)
尾崎 遺跡:No.98遺跡
春日町5丁目、春日小学校一帯に拡がる遺跡です。発見された遺構・遺物は旧石器・縄文・弥生・古墳・奈良・平安・中世・近世の各時代にわたっています。石神井川の低湿地
尾崎(おさき)遺跡出土品(区指定文化財)
尾崎(おさき)遺跡
尾崎(おさき)遺跡発掘調査区と第1次調査発見の遺構
中宮 遺跡:No.101遺跡
早宮3丁目35番一帯に拡がる、縄文・弥生・古墳の遺跡です。古墳時代初めの住居址から、小型壷
盛土(もりど)状遺構(古墳時代)
No.103~106遺跡
氷川台2丁目(No.104~106遺跡)・早宮3丁目(No.103遺跡)の遺跡で、今のところ田柄川流域で確認されているのはこの4遺跡だけです。田柄川は石神井川の支流で、現在は暗渠化されています。この4遺跡中で調査が行われたのはNo.104遺跡で、旧石器時代の石器などが出土しています。
茂呂遺跡A地点:No.107遺跡
羽沢3丁目、都立
栗山遺跡:No.108遺跡
練馬2丁目、開進第
土器出土状態(縄文時代前期)
竪穴住居跡(平安時代)
高稲荷 遺跡:No.114遺跡
桜台6丁目、
高稲荷(たかいなり)遺跡出土品
小竹遺跡:No.116遺跡
遺跡の北の板橋区境付近には、石神井川の支流が流れており、その支流は練馬区・板橋区・豊島区の3区が接するあたり、練馬区で言うと小竹町1丁目付近でさらに3つの小支流に分岐します。小竹遺跡と後述する小竹町二丁目遺跡(No.82遺跡)は、この小支流によって形成された
大珠(たいしゅ)(縄文時代中期後葉)
小竹町二丁目遺跡:No.118遺跡
小竹町2丁目、都営小竹町二丁目団地付近に拡がる遺跡です。旧石器・縄文・中世・近世の遺構・遺物が発見されました。近世の陶磁器類がまとまって出土していますが、住居跡に伴うものではありません。いずれも日常生活で用いる
瓢箪形深鉢土器片(ふかばちどきへん)(縄文時代中期末葉)
栗原遺跡:No.129遺跡
氷川台1丁目、都立城北中央公園の一部を含んで西に拡がる遺跡です。昭和30年に立教大学グラウンド(現城北中央公園)建設に伴って発掘調査が行われています。旧石器・縄文・弥生・奈良・平安の遺構・遺物が出土していますが、弥生時代と奈良・平安時代の住居跡とその遺物は注目すべき資料です。特に平安時代の鉄製品(農耕具、
栗原遺跡住居跡
練馬城跡:No.130遺跡
向山3丁目、豊島園とその南一帯に拡がる遺跡です。縄文・中世の遺跡ですが、中心となるのは中世城館の練馬城跡です。練馬城跡は、前述した石神井城
右馬頭 屋敷跡:No.138遺跡
練馬2丁目、開進第
東早淵 遺跡:No.143遺跡
早宮1丁目、開進第一中学校南に拡がる遺跡です。旧石器・縄文・弥生・古墳・平安の遺構・遺物が確認されており、特に旧石器時代の調査では
竪穴住居跡(平安時代))
局部磨製石斧(せきふ)出土状態
葛原遺跡B地点:No.146遺跡
関町北2丁目25番付近、旧石器・縄文時代早期の遺跡です。縄文時代初めによく見られる、屋外で火を焚いた跡である
葛原遺跡B地点
葛原遺跡B地点
練馬区の遺跡地図
地図中の数字が遺跡番号です。
お問い合わせ
地域文化部 文化・生涯学習課 伝統文化係
組織詳細へ
電話:03-5984-2442(直通)
ファクス:03-5984-1228
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